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スピリチュアルが嫌われる理由① 「二極化」は詐欺の常套句

以下、ブログ記事より転載






あるがままに…」ブログさんから、転載です。




(以下、転載)




スピリチュアルが嫌われる理由① 「二極化」は詐欺の常套句
2014-02-04
テーマ:スピリチュアル批判


私のブログのスピ批判記事で、しばしば「金太郎飴」という表現が出てきます。私の師匠が考案した言葉で、「スピ職人・スピかぶれの人の言葉・態度・生き方全て」を一言で言い切った表現です。もう何度も言及しておりますが、スピリチュアルというのは、その手法やらやりかたやら名称やら方法やら何やらかにやら・・・・・が、「スピ職人の数だけ」存在していて千差万別の筈、なんですが、どれもこれも言ってる事もやってることも全部同じで、これを「金太郎飴」と私たちは呼んでいます。


金太郎飴になる理由は、スピリチュアルの本質が「宗教」と同類だからということもありますが、ハマる人の属性と言いますか、ある一定の層や考え方の人がハマりやすいので、同じような思考パターン、行動パターンに陥るのではないかと思います。


そして、最近、様々な方から反響を頂くようになり、いただいたメッセージをじっと読んでおりますと、これまたスピリチュアルを不快に思ってこられた方・スピリチュアルに傷つけられてこられた方の経緯や背景、おっしゃる事や感じておられる事など、個性はありますが概ね同じでして、これまたほぼ「金太郎飴」状態であることに気付きました。
そうしますと、圧倒的少数派であるアンチ・スピな方々が抱えておられる想い、その想いは「共通」だということ、間違っていないのだということを、是非お知らせしなければならない、と思うようになりました。


お気づきの通り、今回のテーマはオープンテーマでして、敢えてアメンバー限定ではなく、全体公開記事にしております。なぜなら、スピリチュアル大好きな方々に、
「スピリチュアルが、人々を、いかに不快にさせ、傷つけ、排除することで苦しめているか」
・・・という現実をお知らせしたいからです。


きっとスピ大好きな方々は、まさかスピリチュアルが、周囲を不快にさせ、心を傷つけ、苦しめているなどと微塵も思ったことはないことでしょう。
ですが、これは現実です。この記事によって、心あるスピリチュアル関係者が、私の指摘を正面から受け止めて内省していただけたら・・・


・・・と書いたものの、恐らくスピ関係者はこの記事を絶対読まないでしょう。仮に読んだとしても、「きちんと」読んで下さることはないでしょう。「批判」を怖れ嫌悪し、反省や内省といった言葉とは無縁の方々ですから。


したがって、折角オープン記事にしたところで、今回もまたアンチスピな方々の癒やしと心の交流の場にすぎないことになりそうですが、ともあれ、そういった方々の為に、何回かに渉り、私が考えている事をお示ししたいと思います。






まず、「スピリチュアルが嫌われる理由」を考える前に、ここまで嫌われる存在であるという点でも特異なことである旨を指摘しておきたいと思います。


私は今までの人生、「仏教が嫌い」「キリスト教が嫌い」と言う人に、出逢ったことがありません。
ついでに、「ヒンズー教が嫌い」「イスラム教が嫌い」と言う人にも出逢ったことがありません。まぁ、日本には信者自体ほとんどおりませんが。「イスラム教は、なんかコワイ」はいると思いますが、「嫌い」というのはないんじゃないでしょうか。
「オウム真理教が嫌い」これもいないですね。嫌い、以前の問題なので。存在自体を抹殺したい位の認識です。
ところが、仏教は仏教でも、とある宗派の団体名を入れますと、ポツポツと「嫌い」という人が出てきます。キリスト教はキリスト教でも、とある団体名を入れますと、これまたやはり「嫌い」という人が出てきます。それは大抵、その団体から嫌な目に遭わされた人たちです。


社会的にはその存在を承認されていて、一部で熱狂的な信者がいる、カルト的宗教団体は、熱烈な支持者と共に、ひっそりと、強烈な不支持者が存在することが多いと思います。社会的には一応、その存在は受け入れられていますし、オウムのようにヤバい事は一切なさそう・・・なので、表立って糾弾することはできません。勿論、ここには、「表立って糾弾しようものなら信者から本気の反撃を喰らって自分の存在を抹殺されかねないので、できない」という理由をお持ちの方も含まれます。


スピリチュアルは、これと同じ構図を持っていると思います。


スピリチュアルは、様々な姿で人々の生活に入り込んでいます。「引き寄席の法則」もスピなら、ポジティブシンキングもスピ。癒やしのヒーリングもスピだし、アロマセラピーや心理カウンセリング、ボディトリートメントや整体や鍼灸、果ては医療にもスピが巧みに入り込んでいる場合があります。
江原啓之も美輪明宏もそうですし、手に取った生き方本もヨガも風水も占いにも、あらゆるものにスピが入り込んでいます。最近聞いたのは、マクロビオティックスにもスピが入っているそうで。
どれも何となく人を惹きつける衣をまとっていて、語る言葉も耳障りが良いので、オウムのようにいかにも「怪しい」「ヤバい」雰囲気はありません。ですから、これを糾弾するとなると、何となくこちらが悪いようなイメージがあります。実際はどうあれ、アンチスピは圧倒的マイノリティを自負していますから。


それでも、スピリチュアルに接して抱いた不快な想いは消えないし、傷は癒えないしといった現実はれっきと存在します。「スピはなんか怪しいから嫌い」といった基本無関心の方々の「嫌い」というレベルではない嫌悪感です。ちょっとしたヤバいカルトに関わった後味の悪さ、といった感じです。


「スピリチュアルは、羊の皮を被った一人カルト宗教である」
この説は後ほど述べる「理由」に深く関連してきます。今回は、スピによって多かれ少なかれ「被害」を被った方々の抱える心の傷が存在するのだということだけ、強調したいと思います。




それでは、スピリチュアルはなぜ嫌われるのか。今回もまた、結論を先に言いましょう。




自分が本物でもなければ人格者でもない、一介の未熟者に過ぎないのに、自分が信じるスピ思想に基づいて、上から人々を裁き、見下し、排除しているからです。




もう少しまとめますと、


①宗教ではないふりをするので、逃げ場を与えない(→こちらにストレスを与える)


②「二極化」という言葉で目覚めた「スピリチュアル」と目覚めない「アンチスピ」に分ける(→こちらに不快感を与え、人によってはトラウマを与える)




スピリチュアルに関わらなくとも、スピ職人が欲望にまみれた心をオブラートに隠して本能のままに生き、煩悩礼賛な人生(=あまり尊敬できない人生)を送っていることは見れば分かります。
そのような人から、思いやりのない態度で(スピリチュアルにおいては、「苦しみ」は全て自分の心の持ちようから創り出されるものとされるので、人の痛みを理解することができなくなり、いつしか人の持つ思いやりが消えていきます。過去限定記事参照)、スピの「全部自分に還元主義」(全ての物事は自分次第で、良くも悪くもなるというスピの根本思想。私はこれを、全部自分に還元主義と呼んでいます)な言葉を浴びせられた日には、不愉快を通り越し、バカバカしくて付き合いきれません。


また、人生のヒントが見つかるかもしれないと期待して、まともに彼らの話を聞いてみようと思った人は、一応耳を傾けてみて、付き合ってきた時間の分だけ、深手を負って行きます。




先ほど「二極化」という言葉を出しました。「二極化」は2012年12月にばらまかれたデマ「マヤ歴終末論」ブームに便乗し、スピ業界が流行らせ、浸透させた言葉です。ざっくり言いますと、ノストラダムスの大予言に騙された経験から、アセンション=世界の終わり、では誰も信じないと見込んで、アセンションによって「目覚めた人」と「目覚めない人」の二極化が進む、ということにしたのです。「アセンションにより、地球の二極化が加速する」と言っておけば、検証不能なので簡単に騙せます。
今更ありもしなかった「アセンション」を標榜するのは流石に白々しいからか、2011年から2012年まであれだけうるさかったアセンションもスピブログからは一掃され、亡霊のように未だ生き残って伝承されているのが「二極化」です。
興味のある方は「アセンション 二極化」でググると何万ものスピブログが丁寧に教えてくれるでしょう。あ、一応アセンションによって現在も二極化はどんどん、加速度増して進んでるらしいですよ。


私はこの「二極化」という言葉を使ったところで、スピリチュアルが尻尾を出したと思いました。この言葉こそ、スピリチュアル思想の欺瞞が象徴されているのです。


「二極化」という思想は、二つの大きな意味を持ちます。


そのうちの一つ、「二極化」という言葉を使った時点で、スピリチュアルがまやかしであり詐欺的であることの証拠になるということを説明しましょう。


詐欺師というのは大抵、「二択」を迫ります。「これを申し込めば凄く儲かりますよ?申し込まなければ得るものはありませんよ?」100かゼロか、です。中間はありません。そして、考える余裕も与えてくれません。
詐欺ではありませんが、大昔に振り袖を買おうとした際、百貨店のセールス担当者からいいことを聞きました。人は、あれかこれか迷った場合は選べるが、選択肢が3つ以上になると選べず、「また考え直す」と言われてしまうので、二択に絞るのがいい・・・のだとか。心理学的に、人間は選択肢が多いと選べないんですって。確かにその通りになり、候補4着の振り袖を前に、結局選べず、あれだけ時間を割いたにもかかわらず振り袖は買えませんでした。


「母さん助けて詐欺」「オレオレ詐欺」も同じです。そこにある選択肢は、電話の向こうの息子を、助けるか、助けないか。「ちょっと考えさせてくれ」「後で電話をかけ直す」「家族に相談してみる」という選択肢はありません。電話の向こうの息子が「今すぐに助けて欲しい」と言ってるので、助けるか、助けないかの二択です。


しかしここで大きな過ちがあります。その二択の前提そのものが、存在していないのです。「儲かる話」など存在しない。息子は助けを求めてなどいない。しかし、騙される人というのは、その前提の存否を考えてみることもなく、詐欺師に与えられた前提を所与のものとして、受け入れてしまう。二択を選ぶという時点で既に、騙されているわけです。




「二極化」も同じです。




あなたは目覚めた人になりたいですか?なりたくないですか?
ポジティブ意識で生きますか?ネガティブ意識で生きますか?


まぁ、こんな風に、我々に向かって二択を迫ります。


スピ職人のブログには、これまた金太郎飴でして、ハンコを押すように「二極化がどんどん、進んでいるのを実感する」「二極化が加速しているのを感じます」「二極化が加速する時代だ!」とポンポン、綴られています。これ、誰が最初に言い出したんでしょうね。いい加減バカの一つ覚えみたいなコピペ拡散させるのやめましょうよ・・・と言いたくなるほどですが、言い出しっぺがそもそも私には突き止められないので(突き止めても意味がない)。


二極化というのは森羅万象に当てはめようと思えば当てはめられるので、スピ職人達は、鬼の首でも取ったかのように、世の中陰と陽などなど、全て二つのセットで成り立っているから、二極化であるのは当然などと主張しています。
まぁ確かに、陰と陽、男と女、昼と夜、プラスとマイナス、白と黒、対立する二つの要素が存在しているのは確かです。格差社会、これも二極化の典型例でしょう。しかしここで既に決定的な間違いがあります。




ゲイはどうなんですか?




それから、「夕方」とか「明け方」とか。
プラスとマイナスの他に、どっちでもない「中性」ってあったような。
「灰色」はどうなんじゃい。
格差社会ったって、「中間層が消えた」わけじゃないし。



つまり、「二極」というくくりそのものが過ちというか、嘘・・・とまでは言いませんが、少なくとも「ざっくり分けすぎ」であることは間違いありません。
そしてその二択に分けた上で、ポジ?ネガ?どっち?と二極「化」があることを前提として迫るという手法は、正しく詐欺師の常套手段というわけです。


いや、「二極化」、してるかどうか分からないっすよ?(笑)


そんなざっくり分けすぎたいい加減な人達の言う事ですから、信用しろと言われても、それは無理です。
更には、二極化言ってる本人も騙されている・・・というよりは、「自己詐欺」みたいなものですから、救いようがありません。




(転載おわり)







記事転載元:スピ団体のカルト化を何とかしたい、めざめちゃんのブログ
スピリチュアルが嫌われる理由① 「二極化」は詐欺の常套句